私が彼から離れようとしていると感じるや否や、フレッドは、その頃まだ産まれ立てのほやほやだったお猿の親権を意識したのか、あらゆる狂った事をやり始めた。
彼は以前、私の前に一度結婚していた事がある。その前ワイフとの間にも一人男の子がいるのだけれど、前回の離婚の時にはその子の親権を、彼はいっさい取ることが出来なかったという。
そんな事があって、今回彼としてはどうしてもこのベビーの親権が欲しかったようだ。
今まで度重なるコートを通して感じた事は、カリフォルニアで離婚をすると、母親によほどの問題が無い限り、父親がどんなにコートで争おうとも、子供と一緒に暮らして行くフィジカルな親権は母親に行くように出来ている。そして父親には,週末などを子供と一緒に過ごすビジテーションの権利が与えられる。
考えてみれば悲しい話だ。
しかし、そうは言っても彼の場合やり過ぎなのだ。
私が離婚を言い出した途端フレッドは、コートに持ち込む時の『資料つくり』をするように、その『よほどの母親の落ち度』という物をでっち上げ始めた。
お陰様でそれからの私の生活は、もう未だかつて体験した事が無い程スリルとサスペンスに満ち溢れた時間の連続となった。
ある晩遅く、いつものように、私は一人静かにベッドでベビーにミルクを飲ませていた。そこに突然乱暴にドアがノックされたかと思うと、ドカドカと二人のごつい警察官達が無遠慮に踏み込んで来た。あまりの出来事にすっかり怯え切る私に向かって、厳めしい顔をした彼等から矢継ぎ早に早口の英語の質問が飛んで来る。不躾な彼らの話をよく聞いてみると、何とその時の私には、ベビーを殺そうとしているなどというとんでも無く馬鹿げた容疑が掛けられていたらしかった。
その時は何とか、拙い英語を駆使しながら必死で受け答えをしたものの、暫くすると、今度は子供の虐待を取り締まる機関のCPSからケースワーカーが呼ばれ、『調査が終了するまでは、ベビーと二人っきりにするのは危険だ』などとして、危うく私の生活の全てがフレッドの家族の監視下に置かれそうになったりもした。
今でこそこんな話も馬鹿々しいと笑い飛ばせてしまえるが、その時の私といえば、まだ英語もよくは聞き取れず、実際自分の身に何が起っているのかさえもはっきり分かってはいなかった。
あのままでいたら、結局最後にはフレッドに、今頃はもう気違い女としてどこかの精神病院にでも隔離されてベビーにも会わせてもらえない状況にいただろうというのも、必ずしも大袈裟な冗談ではない。
幸いにして、そのCPSから行くように強要されたカウンセラーが日本人だった。そして彼女は、こういった見境のない白人のアジア女性に対する虐待問題に慣れていた。
フレッドにしては皮肉な事に、結局これがキュー出しとなって、私は最悪のフィナーレから救い上げられることが出来たのだ。
カウンセリングの一通りのセッションを終えると、彼女はフレッドの『メンタルアビューズ』を指摘して、シェルターの番号を手渡しながら私に直ちにそちらへ逃げる準備をするようにと言った。私にとってはそれが初めて『シェルター』という物の存在を知る切っ掛けだった。
この虐待の問題についても、それまで身体的な虐待がある事は知っていたが、しかし『メンタルアビューズ』などといった精神的な虐待があるなんて事は考えても見なかった。フレッドとの生活の中で、何かがおかしいとは思っていた。しかし、それが何であるのかなんて、自分では全く見当もつかなかった。
その後しばらく、カウンセラーからもらった番号のメモは鞄の中にしまい、どうしたものかと迷う日々が続いた。フレッドも一旦爆発はしてしまったものの、またここ暫くは、思い直したように自分がやった事に対して平謝りで謝って来ている時でもあった。
それに正直なところ、実際友人なんて一人もいない異国の地に、まだ産まれて四ヶ月にも満たないベビーを連れて、一人ぼっち飛び出していくのはとても恐かった。
しかしそんな小康状態も、その後長くは続かなかった。
暫くは人が変わったように優しかった彼も『喉元過ぎれば熱さも忘れる』。また段々と日が経つにつれてそのお天気加減にも雲がさして来た。
そしてそれからそう間を置く事も無く、とうとう最後に私の背を押してくれるその『事件』は起きてしまった。
最後の日曜日、その日はもう、朝からフレッドのご機嫌には嵐が吹き荒れていた。
一日中私の事を汚い言葉で呼び続け憂さを晴らしているような時間が過ぎていた。
しかし、そんな彼も夕方になると少し気分が回復した様子で、ベビーをお風呂に入れるので『直ちに』風呂を用意するようになどと言い出した。彼の言葉に従って私がバスタブに湯を張ると、彼はただそれにゆっくり浸かってベビーの用意が出来るのを待っていた。
キューが出たのはその直後。
ベビーの入浴の用意が整いバスタブの中の彼に手渡そうとしたその瞬間、急に彼女がぐぜり出してフレッドに手渡すのが少しもたついてしまった。それが彼の『お気』にとても触ってしまったらしい。またネチネチと忌ま忌ましい様子で'jesus christ'だとか'disgusting'だとか、私の事を罵り始めた。
ここまでくれば、もうこんな男はノー・サンクスだ。
私の中で、何かが『ブチッ』と音を立て切れた。
'stop talking like that'
(そんなふうに言うのは止めてくれる?)
引き攣る顔を押さえながら、出来るだけ冗談めかした調子で、私は彼の裸の肩を軽くはたいた。
その途端!
フレッドは、火のついた猛獣のように物凄い勢いで怒り出した。
そのあまりの剣幕ぶりに、その瞬間、私は彼が狂ってしまったのではないかと思った。
素っ裸の状態で、突然『ウオーッ』と湯舟から立ち上がったかと思うと、そのままタオルも纏わずに電話に向かって突進して行く。
'we are over!'
'you lose everything with this!'
物凄い形相で私の顔を指差しながら罵倒の言葉を並べたて、そして電話の所まで行くと、これまた素っ裸のまま、'i will call police'なんて、もう受話器を取り上げボタンを押し始めているではないか‥。
その時の私といったら、もういったい全体何が起っているのかさっぱり分らず、すっかり怯えて、ただただ彼に警察を呼ばないでくれと泣いて縋るのが精一杯だった。
結局、シェルターにはその次の日に電話をした。
逃げ出して来て暫くは、突然異国の地で一人ぼっちになった心細さに潰れてしまいそうだった。これからの生活を考えると、果たして私の選択は正しかったのか間違っていたのか‥。
一緒に連れて来たベビーは腕の中で無邪気に笑っている。
大きな責任に、ただもう踞って泣き出したい心境だった。
しかし、いざ足を一歩前に踏み出したならば、もう戻る場所は残されてはいない。
その後は否応無しにまた次の一歩、そしてまた一歩と,足を前に踏み出し続けるしかないのだ。。
そうして自分の背を押しながら、毎日新しくぶつかる課題たちに必死で取り組んで行くうちに、今やっと、あの時決心しておいてよかったと思える場所までたどり着いた。
もちろんこれは私独りで歩いて来た道ではない。
こんなドタバタ喜劇の閉幕に、私は『知識』と『人のコネクション』が、イザという時、どれだけ自分を守ってくれる厚い鎧を作るのかという事を身に滲みて学んだ。
『求めよ。されば与えられん』これがアメリカという国だ。
手を伸ばせばそこで、必ず何かを掴む事が出来る。
反対に言えば、求めなければ、自分が動かなければ、ここでは何も変わらない。
今、ここに来るまでに、シェルターの他にもサンフランシスコの『のびる会』、ロスアンジェルスの『アジアンヘルプライン』の情報網、他、色んな機関に助けてもらった。
彼らのコネクションに出会う事が出来ずに、もしもあのままフレッドの所に留まり続けていたらと思うと、‥ちょっと考えたくはない。
今でもフレッドとは、こうしてコートだのビジテーションだのと頻繁に顔を会わす状況は続いている。でも、今はちゃんと自分の『位置』がわかる。
まだヘイワードの生活にいた頃の自分といえば、言葉もろくに理解できず、そして外を出歩くのにも躊躇ってしまう荒んだ環境の中で、最終的に頼りにするのがフレッドしかいなかった。
変な例えではあるけれど、そこでは、街の動物園に隔離されたアフリカサバンナの動物たちの気持ちが分かるような気がした。
どんなに彼らが強くて独立心の旺盛な生き物であっても、生活範囲とシステムの全く違う『この社会』に連れて来られてしまっては、その鋭い牙もこの社会を支配する人間達に管理され、鎖に繋がれたまま檻の中で大人しくしている他彼等に生き延びて行く術はないのだ。
幸いにして、私はそこから逃れるチャンスを掴むことが出来た。
新しく出会った沢山の人たちが、私が差し出した手を、皆で柔らかく引き上げてくれた。
自分の話をきちんと聞いてもらえる、自分の言葉を真剣に受け止めてもらえる。たったそれだけの事なのに、いつの間にか心の奥で凍り付いていた物は溶け出して、それまで忘れていた、自由の中にある自分の存在への自信を取り戻す勇気がわいて来た。
今ならもう、以前のあの『怪物』も、ただの弱い者イジメしか出来ない臆病者だという事がよく見える。
『時間』というのは天才的な物語のコンポーザーなのだと思う。
一年前、ヘイワードを逃げ出してサンフランシスコに向かった時、私の手の中にはたった一つのスーツケースと四ヶ月になるベビー、そして不安と絶望だけがあった。
それからひとときの時間を潜りぬけて、今、私はここにいる。
まだまだ見知らぬ街での珍生活、毎日バラエティーにとんだ問題の中で時には迷子になったりもするけれど、それでもここでは『私は私』でいる事が出来る。
いつの間にか、バートはサンフランシスコのパウエル駅に到着した。
スーッと目の前でドアが開く。
ホームに降りてふと周りを見回した。
『自分の街の風景』に心がほっと安心する。
もうあの頃の悪夢はここでは繰り返される事はない。
私は今、ここにいる。